出川哲朗の実家は明治創業の老舗!お土産にも人気のヒット商品とは?

出川哲朗の実家は明治創業の老舗!お土産にも人気のヒット商品とは?

出川哲朗の実家は明治に創業した老舗で、メディアなどにも取り上げられることもあり、既にご存知の方も多いでしょう。しかしそうでない人もいるかもしれません。

お坊ちゃまだった子供時代が急転した出来事、芸人になっても苦難を乗り越えて、バラエティー番組やCMなどに引っ張りだこの「愛されキャラ」の人気芸人に。

出川哲朗の魅力、老舗のヒット商品などについて紹介しましょう。



実家は老舗で裕福なお坊ちゃまの子供時代

出川哲朗(でがわてつろう)は、1964年2月13日生まれの56歳(B型)、横浜市出身。兄と姉がいる末っ子として育ちます。実家は有名な海苔問屋「蔦金商店(つたきん)」で、創業126年の老舗です。

子供の頃はお手伝いさんが5人もいて、哲朗を専用に世話する人がいたほどです。中学では泳げないのに水泳部に入り克服、高校では野球経験がないのに野球部(軟式)に入る真面目な努力家でした。

野球部では上下関係が厳しく、上級生の世話や理不尽なゲームをさせられるなどしました。芸人の下積みのような経験が、今の芸風のリアクションやいじられキャラにも活かされています。

 

裕福から急転して人生が動く

高校卒業直前に、実家の会社が倒産寸前に陥りました。社長の父は家に帰ってくることが稀な破天荒な人で、色々な事業に手を出し全て失敗、多額の負債が出たのです。

兄は修業中の会社から呼び戻されました。哲朗は料理人になって外で稼ぐと宣言すると、京都の有名料亭を知人に紹介されます。料理の素人のため料亭で最初からは厳しいと、尼寺での修業が料亭入門の条件だったのです。

掃除や調理などの修業をして、日記を書く毎日。映画を観ることが休日の楽しみでした。矢沢永吉の著書に出会い、そこで大きな影響を受けます。

「役者でビッグになる」と決意し寺に謝罪、数カ月で横浜に戻ります。役者になりたいと母に打ち明けると、好きなことを見つけたことに喜んでくれました。今後の人生を見つめ直す、貴重な修業期間だったのです。

19歳で横浜放送映画専門学院(現在の日本映画大学)に入り、演劇を学びます。この専門学校で内村光良と南原清隆(ウッチャンナンチャン)と、同級生として出会ったことも大きな人生の出来事でした。

1985年に卒業するとマセキ芸能社に、内村や南原と共に所属します。卒業式でおこなった出川のスピーチは、伝説になっています。「俺に時間をくれ。5年で頭を出す。10年で有名になる。20年で頂点取る」という内容の決意表明でした。

公式サイト:https://www.maseki.co.jp/talent/degawatetsuro

 

リアクション芸人を目指していなかった

出川哲朗の実家は明治創業の老舗!お土産にも人気のヒット商品とは?1986年には、映画に役者としてデビューします。当時は痩せてシュッとしいて、二枚目俳優を真剣に目指していましたが、脇役やエキストラばかりの出演でした。

1987年に「劇団SHA・LA・LA」をウッチャンナンチャン(ウンナン)らとともに立ち上げ、座長になります。ウンナンがお笑いコンビとして、コントで人気が出ると、劇団も注目されるようになりました。

バラエティー番組に呼ばれるようになり、有名になれば役者にいい影響があると考えていました。ウンナンとダウンタウンの特番に出演し、ジェットコースターでのリアクションが大うけして、リアクション芸人の扉が開きます。

松本人志に認められ、今後出川を貸してとウンナンにお願いしたのです。リアクション芸人として強力なライバルの出現も、芸を極めるきっかけになります。

それがダチョウ倶楽部の上島竜兵でした。1993年に「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」で優勝すると、見事大ブレイクしました。

 

イメージが変わって愛されるキャラに

リアクション芸人としてブレイクしても、体を張った芸で危険なことも多く、いいイメージは持ってもらえず長い間苦悩もありました。

「なんでも一番になることは凄いことだから胸を張りなさい」と母に励まされ、心が救われます。数年前から世間のイメージが変わってきて、愛されるキャラになったのです。性格の良さや、いつも笑顔で一生懸命に頑張る姿に心を打たれた人も多いでしょう。

子供番組にも出演するなどして、ゆるキャラやマスコット的な存在にもなったのかもしれませんね。デヴィ夫人とよく共演するなど、仲の良いこともイメージアップにつながったのでしょう。

今では好感度が高い芸人として定着し、CMも多く出演しています。サントリーの飲料「GREEN DA・KA・RA」では、鉄分のてっちゃんとして登場。しずくちゃんやなぎさちゃんと、トランポリンを楽しむ姿が愛らしいですね。

人気商品は哲朗に無断で発売

実家の海苔問屋「蔦金商店」で10年ほど前に商品化した「元気のりのり」。出川哲朗がパッケージにデザインされ、海苔の品質にもこだわったものでした。

弟の哲朗には言わず、兄が勝手に商品化していたというエピソードもあります。残念ながら当時はほとんど売れませんでした。出川哲朗人気が上昇すると、数年前から大ヒット商品に。

修学旅行などのお土産にも人気です。初の冠番組であるテレビ東京の「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」のスタート地点は、実家の蔦金商店でした。電動スクーターで旅を始める姿に、亡き母も喜んでいたことでしょう。

テレビ東京公式サイト:https://www.tv-tokyo.co.jp/degawacharging/



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