コロッケはモノマネ界に革命を起こした!デビュー40年の偉大な功績
コロッケのモノマネ芸は、たくさんの人を笑顔にしてきました。日本のモノマネ界を長い間引っ張り続け、「モノマネ四天王」と呼ばれるに相応しく、その中でもトップの存在と言えるでしょう。
デビュー40周年を迎えても、新たな挑戦を続けるコロッケについて紐解いてみましょう。
「あおいくま」の教え
コロッケの本名は滝川広志。1960年3月13日生まれの60歳(B型)、熊本市の出身です。物心つく前に両親が離婚し、母と1歳上の姉と3人で苦労して育ちます。
中学時代は新聞配達をして家計を支えました。「あおいくま」が人生においては大事だと、母からいつも教育され、家の壁に貼ってありました。
「あおいくま」とは、「あせるな・おこるな・いばるな・くさるな・まけるな」の頭文字です。母自身もこの言葉を胸に、辛くても働き詰めで頑張っていたのでしょう。
「おいあくま(おい悪魔)」という、自分自身の中の悪魔を戒める禅の教えの言葉があります。子供たちが興味を持ちやすくするために、順番を入れ替えて「あおいくま(青い熊)」にされたのでしょう。
「あおいくま」を教訓にして行動し、成功を収めた今でも、この母の言葉を部屋に貼って人生の教訓にしています。
姉がモノマネの師匠
コロッケのモノマネのルーツは姉で、小学生の頃からモノマネが得意な姉の影響を受けて、マネするようになりました。モノマネをしていっしょに遊ぶことが多かったのでしょう。
生活は厳しくても、笑いが絶えない家庭だったそうです。当時テレビで形態模写をしていたピーターにもヒントを得て、声以外でもモノマネができると知ります。
おとなしい子供時代でしたが、モノマネをクラスで披露すると人気者になり、人を楽しませる喜びに目覚めたのです。高校時代には近所のスナックに行き、モノマネ芸でチップを貰うようになり、モノマネで将来食べていくと決意。
高校卒業後、地元のパブでモノマネ芸人として有名になると、東京で勝負しようと母の反対を押し切り、19歳で上京しました。
コロッケの由来とは
コロッケという芸名は、親しみ感のある庶民的な食べ物で覚えやすく、一度聞いたら忘れない絶妙なネーミングですよね。芸名にした由来は何なのでしょう。
滝川少年は、1979年に東京に出てショーパブで働いていましたが、オーナーの通称が「ロッキー」でアフロヘアーでした。滝川少年の風貌がオーナーに似ていたことから「小(コ)ロッキー」と呼ばれるようになります。
形態模写のモノマネで、顔がコロコロ変化するという意味合いも含めて「コロッケ」という芸名になったとされています。「ケロッケ」をご存知でしょうか。
コロッケの子供時代の師匠で一般家庭の主婦の姉が、10年ほど前にデビューした芸名です。九州を中心に活動するモノマネタレントで、以前コロッケとケロッケがテレビで共演したこともありました。
衝撃的なデビュー
20歳で出場した「お笑いスター誕生!!」(日本テレビ系)で、衝撃的なデビューを飾りました。とんねるずやウッチャンナンチャンなど、お笑いスターを世に送り出した伝説的な番組です。
岩崎宏美や野口五郎・ちあきなおみなど、当時のコロッケは形態模写モノマネで、しぐさや表情をコミカルに誇張して大爆笑を取りました。
審査員のタモリも大絶賛し、全国に知られる存在へとなったのです。形態模写から始まり、徐々に歌マネ芸も取り入れて、モノマネ四天王として活躍し、大ブレイクを果たしました。
公式サイト:http://fine-stage.net/talent/croket/
40年間進化し続ける力
1980年にデビューして40年になります。常に新しいことを取り入れて進化をし続けているコロッケのレパートリーは、今では本人でも把握しきれていないくらいあるのではないでしょうか。一説には500ほどあるとも言われます。
五木ひろしさんのロボットモノマネや、北島三郎のヒップホップダンスなどを生み出す発想と完成度には驚かされました。形態模写・歌唱・しゃべり・ダンス・演劇など、芸のためならあらゆる努力をする姿はすばらしいですよね。
実は、子供の頃の病気で右耳の聴力がほとんどないことを、デビュー後30年程して明かしました。モノマネで重要な聴力にハンデがありつつ、芸を極めていることに驚いた方も多いでしょう。
観察力や想像力が人より身についたとプラス思考で、オリジナル芸を生み出していたのです。歌のモノマネが似ている上手さだけなら、歌手本人の歌を聴いた方が良いという持論があります。
妄想と破壊による奇想天外なデフォルメの付加価値が、コロッケのモノマネの独自性と言えるでしょう。モノマネ界に革命を起こし切り開いた功績は、偉大な発明家のようでもあります。
支援活動と笑顔になるパン
東日本大震災や熊本地震などでの支援活動にも力を注ぎ、少しでも笑顔になってほしいと各地を回りました。地域の食材を使った復興支援の一環で、戦時中に消滅した祖父のパン屋「滝川パン」を2014年に復刻。
現在、熊本本店・福岡天神店・仙台名取店で、笑顔になるパンを作っています。2016年の熊本地震では、被災地のたくさんの人にパンを届けました。