ナイツのネタはYMO?ボケとツッコミを連発するスタイルはテクノ音楽

ナイツのネタはYMO?ボケとツッコミを連発するスタイルはテクノ音楽

ナイツのネタのスタイルは、YMOのテクノサウンドなのでしょうか。塙のボケや言い間違いネタをこれでもかというほど連発し、土屋が的確にツッコミを入れて修正するスタイルの漫才は、ナイツならでは。

浅草の演芸場を主戦場にして、多くのテレビ番組にも出演し、安定感のある漫才は幅広い世代に人気があります。お笑いコンビ「ナイツ」について紐解いてみましょう。



ナイツはYMO?

YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)と言えば、テクノサウンドの代表的なグループです。塙の持論で「漫才は音楽」という考えを持っていて、好きなYMOのテクノ音楽を意識しています。

無機質な雰囲気で、機械的に尋常ではないほどの回数の小ボケを続ける塙と、ツッコミをタイミングよく入れる土屋のリズム。時々塙が転調を入れるかのように、テンションを上げ下げします。

言われてみれば、いろいろなタイプの漫才が様々なジャンルの音楽と共通する部分もあるのかもしれません。ナイツの代表的ネタは「ヤホー漫才」で、インターネットで検索する言い間違いや勘違いの言葉遊びが面白く、誰にでも分かりやすいので、世代を問わず受け入れやすさがあります。

 

ナイツの結成

ナイツのネタはYMO?ボケとツッコミを連発するスタイルはテクノ音楽塙と土屋の出会いは、創価大学でした。子供の頃からお笑い好きの塙は、落語研究会に入ります。一方の土屋は公認会計士を目指して、国家試験研究会に入り毎日10時間勉強をするも、大学2年生で挫折しました。

この頃観た落語研究会のライブに興味を持ち、大学2年の秋に落語研究会に入会しました。この時塙は大学3年生で、土屋の1学年先輩になります。

塙は別の相方とナイツのコンビ名で既に活動をしていましたが、卒業後その相方は芸人の道を選ばず、塙はプロの芸人を目指すために新しい相方を誘います。

数人に声を掛けて断られ、最後に声を掛けた後輩の土屋が承諾しました。土屋はまだ経験が浅かったので最後に声を掛けましたが、塙は落語研究会の部長として土屋の将来性を見抜いていたのでしょう。また、土屋は塙先輩の大学時代の活躍を見ていて、ついていこうと決心したのかもしれません。

 

Wノブユキ

2000年にコンビを結成します。偶然にも二人の名前が「ノブユキ」であるため、「Wノブユキ」のコンビ名にしようと考えました。しかし「Wけんじ」として活躍したコンビの弟子と勘違いされると思い、これまで塙が活動していたコンビ名「ナイツ」を継承することに。

コンビ結成直後に、塙がバイクの事故で足を骨折し入院。歩けるまで約1年を要しました。土屋は毎日のようにお見舞いに行き、世話をするなどして支えます。

土屋の誠実で真面目な人柄が判るエピソードですね。コンビの絆が一層深まったことでしょう。怪我のリハビリもあり、実質の活動開始は2001年とされています。

ボケ担当の塙

塙宣之(はなわのぶゆき)は、1978年3月27日の42歳(A型)。埼玉県春日部市で生まれ、まもなく千葉県我孫子市へ移り住み、小学5年生から佐賀県佐賀市育ちです。

創価大学経済学部卒業。ボケ担当およびネタ作り担当です。野球好き(巨人ファン)や相撲好きでも知られています。3人兄弟の末っ子で、1学年上の次男である塙尚輝はピン芸人の「はなわ」として、佐賀県ネタなどの歌で一世風靡のブレイクをしました。

子供の頃から兄たちに、お笑いの才能を高められる環境が自然とあったのでしょう。佐賀県の小学校に転校してから、すぐにクラスの人気者になりました。

ダウンタウンの漫才に憧れて、芸人になりたいと中学時代から考え始め、高校生の時に福岡のオーディション番組「第3回激辛!? お笑いめんたい子」(テレビ西日本)に出場して優勝。大学時代は、大学対抗のお笑いコンテストで席巻しました。

 

ツッコミ担当の土屋

土屋伸之(つちやのぶゆき)は、1978年10月12日生まれの41歳(AB型)。東京都生まれで、千葉県船橋市育ちです。創価大学経済学部卒業。ツッコミ担当です。

メガネが印象的なハンサムですが、度が入っていない伊達メガネをしています。大学4年生で芸人を目指すと決めた時、父親に反対され、30歳までに売れなかったら就職する約束をしました。

母は演歌歌手「津島明希」として活動した時期もあり、所属していたマセキ芸能社に母の紹介で、ナイツもネタ見せをして入ったという縁があります。

ナイツは2008年にM-1グランプリ決勝進出など、大きく飛躍しブレイク。父と約束した30歳の時でした。特技は絵で、特に大好きな馬の絵はプロ級の評判です。

「プレバト!!」(TBS系列)の水彩画コーナーにも出演していて、現在アンミカさん(名人3段)に次ぐ名人2段(2020年8月)の腕前。馬以外にも実力は発揮され、繊細で真面目な性格が絵に表れているようです。

公式サイト:https://www.maseki.co.jp/talent/knights

 

言葉で絵を描く

2020年8月に、97歳で内海桂子師匠が他界されました。ナイツがマセキ芸能社に入ってまだ駆け出しの2002年、社長の勧めで年配受けするコンビということで、漫才協会に入ることに。

漫才協会に入る際に、同じ事務所の内海桂子師匠の弟子になりました。これまで漫才でも師匠に関するネタをよくしています。

今では漫才協会の副会長と、常務理事の要職を務めるナイツ。「言葉で絵を描きなさい」という師匠の教えを、いつまでも継承していくことでしょう。

 

☆こちらの記事もチェック!

>>>和牛のネタは個性的で面白い!仲良し感と料理が人気のキーワード



関連記事一覧